2007年07月06日

明日は、七夕

多奈波太神社  

名古屋市北区金城4にある。 旧町名は「七夕町」といったが、昭和55年、住居表示の変更で「金城と」変更になった。
織田信長の焼き打ちにあったため神社・資料を焼失してしまい名前の由来は不明。





七夕にまつわる神社といえば、西区に星神社がある。 
これらふたつの神社を結ぶ伝説がある。

昔、小田井村の星神社の近くに若者が住んでいた。 
若者は田幡村の娘と七夕の夜に出会い、その後も度々
会うようになった。 そして翌年の七夕の日も、会う約束を
していたが、村は大雨による洪水でとても行ける状況では
なかった。 約束を守らなければ、と若者は必死で濁流の
庄内川を泳いで、娘の待つ田幡村に行こうとした。 
しかし、水かさは増すばかり、とうとう若者は濁流にのみ
込まれてしまった。 
娘は、そんな天気で来られなかったのかも知れないと思い、
毎日この多奈波太神社で若者を待っていた。
しかし、娘の耳に入ってきたのは枇杷島に若い男の水死体が上がったという話だった。 
娘はその話を聞くと、そのまま庄内川に身を投げたのだった。 
田幡村の人達は、牽牛星は小田井村の若者、織女星は田幡村の娘なのだと信じていたという。


それにしても、7月7日のことを、どうして「七夕」と書いて「たなばた」と読むのだろうか?
日本では七夕の頃は稲の開花期にあたり、水害や病害などが心配な時期だし、お盆(旧暦の7月15日)の準備をする頃にもあたるので、収穫の無事を祈り、棚機女(たなばたつめ)という巫女が水辺の棚の上に設けられた機屋で棚機(たなばた)と呼ばれる機織り機を使って先祖に捧げる衣を織りあげ、それを祀って神の降臨を待つという禊(みそぎ)の行事があったそうだ。 
やがて、この行事と織姫にあやかって機織りの技が上手くなるように、ひいては手芸や手習いの上達を願って、巧みになるように乞う祭りの乞巧奠(きっこうでん)が交じり合い現在のような形に定着してきた。 
もともと、「たなばた」は7月7日の夕方を表して「七夕(しちせき)」と呼ばれていたものが、棚機(たなばた)にちなんで「たなばた」という読み方に変わってきたようだ。


織姫星(織女星)は、こと座の1等星ベガ、彦星(牽牛星)は、わし座のアルタイル。
天の川を挟んだこの二つの星の間は、何光年離れているのだろう?
このあたりの解説は、名古屋っ子さん お願いします。

予報では、明日は曇り空のようだ。 
こんなときに限って、予報ってよく当たるんだよなあ。


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この記事へのコメント
せんせい!
七夕は、「たなぼた」とは関係ないのでしょうか?
Posted by なるほどバクチャン at 2007年07月06日 20:28
七夕は、1年に一度です。

たなぼたは、ランキング3位以内に入ることです。
Posted by ぢぢばば at 2007年07月06日 20:32
乞巧奠にカヂの葉に願い事を書いて奉げる風習がある。
このカヂの木が多奈波太神社の境内に植えられている。
Posted by 7.7 at 2009年06月20日 08:59
7.7さん
コメントありがとうございました。

この風習は知っていましたが、カヂノキは見たことがありません(タブン)ので、一度見てみたいものです。
古代の風のHPによれば、名古屋市内にも随分たくさんあるみたいですね。
Posted by boppoboppo at 2009年06月21日 06:20
カヂノキのある場所
名古屋城内愛知県体育館西門(くろがね門)のあたり、
名古屋帰宅、多奈波太神社、
名古屋千種区今池3-120庄司文化米術研究所・・・など
Posted by v8b7he at 2011年07月13日 16:47
数年前の古い記事にコメントいただき、ありがとうございました。
教えていただいた場所 一度訪問してみたいと思います。
Posted by boppoboppo at 2011年07月13日 19:42
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